前々回の記事で定義したように,正方行列$A$に対して
を満たす正方行列$B$が存在するとき
- $A$を正則行列
- $B$を$A$の逆行列
といい,$B=A^{-1}$と表すのでした($I$は単位行列).
このように,正方行列$A$が正則であることの定義は$AB=BA=I$を満たすことですが,実は$AB=I$か$BA=I$のいずれかがなりたてば自動的に$AB=BA=I$が成り立つことを証明することができます.
このことを証明するためには,前回の記事で考えた行列の基本変形をもう少し詳しく考える必要があります.
この記事では,正方行列$A$が正則であるためには$AB=I$か$BA=I$を満たす正方行列$B$が存在すれば良いことの証明を目標として,「基本変形と行列の積の関係」について説明します.
なお,この記事では実数$\R$を中心に説明しますが,複素数$\C$など一般の体に対しても同様です.
「線形代数学の基本」の一連の記事はこちら
【線形代数の初学者のための道案内|線形代数のイメージを知る】
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行基本変形の復習
まずは,前回の記事で説明した行基本変形の復習です.
連立方程式
は以下のように加減法により解くことができます:
結局,連立1次方程式の加減法は係数だけをいじくっているだけであることに注意すれば,加減法は以下のように拡大係数行列$\bmat{2&3&8\\1&2&5}$の変形と対応していることがわかります.
この連立1次方程式の加減法に対応する行列の変形を行基本変形というのでしたね.
[行基本変形] 行列について
- ある行と別の行を入れ替える
- ある行を$k$倍する($k\neq0$)
- ある行の$k$倍を別の行に加える
という3つの変形を併せて行基本変形という.
基本変形と行列の積
それでは,基本変形と行列の積の関係について説明します.
基本変形
いま行基本変形について定義を述べましたが,列基本変形も同様に定義されます.
[列基本変形] 行列について
- ある列と別の列を入れ替える
- ある列を$k$倍する($k\neq0$)
- ある列の$k$倍を別の列に加える
という3つの変形を併せて列基本変形という.
列基本変形の定義は,行基本変形の定義で「行」を全て「列」に読み替えただけですね.
また,列基本変形と行基本変形を併せて基本変形といいます.
基本変形を引き起こす行列
行列$A:=\bmat{1&2&3\\4&5&6\\7&8&9\\10&11&12}$と,以下の行列を考えます.
このとき,単純な計算より
となります.すなわち,$A$に対して,
- $P_{34}A$は第3行と第4行の入れ替えが,
- $Q_{2}^{(3)}A$は第2行の3倍が,
- $R_{14}^{(2)}A$は第1行に第4行の2倍の付け加え
が起こっています.
一般に,基本変形は以下のように行列$P_{ij}$, $Q_{i}^{(k)}$, $R_{ij}^{(k)}$をかけることによって引き起こすことができます.
[基本変形と正則行列] $k\in\R$とし,$A$を$n$行の行列とし
- $P_{ij}$を単位行列$I$の第$i$列と第$j$列を入れ替えた行列
- $Q_{i}^{(k)}$を単位行列$I$の第$i$列を$k$倍した行列 ($k\neq0$)
- $R_{ij}^{(k)}$を$I$の第$i$列に第$j$列の$k\in\R$倍を加えた行列
とする.このとき,これらを行列に左からかけることで次の行基本変形を引き起こす:
- $P_{ij}A$は$A$の第$i$行と第$j$行を入れ替えてできる行列
- $Q_{i}^{(k)}A$は$A$の第$i$行を$k$倍してできる行列 ($k\neq0$)
- $R_{ij}^{(k)}A$は$A$の第$i$行に$A$の第$j$行の$k$倍を加えてできる行列
また,列基本変形については「行」を「列」に読み替えて$P_{ij}$, $Q_{i}^{(k)}$, $R_{ij}^{(k)}$を$A$に右からかければよい.
$\m{e}_i$を第$i$成分が1で他の成分が全て0のベクトルとすると,$P_{ij}$, $Q_{i}^{(k)}$, $R_{ij}^{(k)}$は
とも表せますね.
先ほどの例のように,実際に計算することによりこの命題は容易に証明できます.
また,この命題[基本変形と正則行列]を考えるか,実際に計算することで,次が成り立つこともすぐに分かります.
$P_{ij}$, $Q_{i}^{(k)}$, $R_{ij}^{(k)}$はいずれも正則で,それぞれ$P_{ij}$, $Q_{i}^{(1/k)}$, $R_{ij}^{(-k)}$が逆行列である.
正則性の条件
それでは,この記事の本題です.
前々回の記事で説明しましたが,念のため正則行列の定義を確認しておきましょう.
正方行列$A$が正則行列 (regular matrix)であるとは,$AB=BA=I$を満たす正方行列$B$が存在することをいう.また,このとき$B$を$A$の逆行列 (inverse matrix)といい,$A^{-1}$で表す:$B=A^{-1}$.
定義は以上の通りですが,実は$AB=I$と$BA=I$のいずれかが成り立てば$A$(と$B$)が正則であること(すなわち,$AB=BA=I$が成り立つこと)が証明できます.
すなわち,以下が成り立ちます.
[正則性の条件] 正方行列$A$に対して,$AB=I$または$BA=I$をみたす正方行列$B$が存在すれば,$A$は正則で$A^{-1}=B$である.
$A\in\Mat_{n}(\R)$とし,$AB=I$をみたす正方行列$B$が存在すれば$A$は正則であることを,$n$に関する数学的帰納法により示す.
[1] $n=1$のとき
$A=[a]$とすると,$AB=I$から$a\neq0$であり,$B=[a^{-1}]$である.
よって,$BA=[a^{-1}a]=[1]=I$が従う.
なお,$A=[a]$や$B=[a^{-1}]$は1行1列の行列表示である.
[2] $n=k$のときに定理が成り立つと仮定し,$A, B\in\Mat_{k+1}(\R)$は$AB=I$を満たすとする.
もし$A$の第1行の成分が全て0なら積$AB$の$(1,1)$成分が0となって$AB=I$とは成り得ないから,$A$の第1行には0でない成分$a$が存在する.
よって,$A$に列基本変形を施して,$(1,1)$成分が0でない行列$A_{1}$に変形できる:
さらに,$A_{1}$に行基本変形と列基本変形を施して,第1行と第1列の$(1,1)$を除く全ての成分が0であるような行列$A_{2}$に変形できる:
行基本変形と列基本変形で$A$が$A_{2}$に変形されたから,$XAY=A_{2}$となる正則行列$X$, $Y$が存在する($X$, $Y$は上で定めた$P_{ij}$, $Q_{i}^{(k)}$, $R_{ij}^{(k)}$の積となっている).
ここで,$A_{2}$, $Y^{-1}BX^{-1}$を
とおく.$XX^{-1}=YY^{-1}=AB=I$だから,
だから,
が成り立つ.よって,
- $A_{3}B’=I_{k}$と帰納法の仮定を併せて,$A_{3}$は正則で逆行列$B’$をもち,
- $a\neq0$だから$a\m{y}^{T}=\m{0}^{T}$より$\m{y}=\m{0}$が成り立ち,
- ${A_{3}}^{-1}$を$A_{3}\m{z}=\m{0}$の両辺に左からかけて$\m{z}=\m{0}$が成り立つ.
これより,$Y^{-1}BX^{-1}=\bmat{x&\m{0}^{T}\\\m{0}&B’}$となるから,
が成り立つ.よって,$A$は正則で,$A^{-1}=B$である.
行列のランク
この記事では,正方行列$A$が正則行列であるためには,$AB=I$または$BA=I$となる正方行列$B$を見つければ良いことを説明しました.
しかし,実際にはこのような$B$を見つけてくることが面倒なことも少なくありません.
そのようなとき,行列のランクを調べることで行列の正則性の判定をすることができます.
次の記事では,行列のランクについて説明します.
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参考文献
線型代数入門
(齋藤正彦 著,東京大学出版会)
線形代数の教科書として半世紀に渡って売れ続けている超ロングセラーの教科書です.
本書が発行されて以来,多くの教科書が本書を真似て書かれてきたといっても過言ではないほど,日本の線形代数の指導にインパクトを与えた名著です.
その証拠に,著者の齋藤正彦氏は本書で日本数学会出版賞を受賞しています.
「線形代数をとりあえず使えるようにするための教科書」ではなく「線形代数を理解するための教科書」のため,論理的に非常に詳しく書かれているのが特徴です.
内容は理論系(特に数学系)の学部生であれば,確実に理解しておきたいレベルです(非理論系の人はここまで必要ないかもしれません).
なお,本書については,以下の記事で書評としてまとめています.
本書の良い点や気になる点,オススメの使い方などをレビューしています.これから理論系として数学を扱う人は,是非とも持っておきたい1冊です.